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2008年12月

2008年12月31日 (水)

■2009 0101 〔元旦:がんたん〕

元旦
子どものころの正月の楽しみは、父や祖父から戴く〈おとしだま〉であった。
理由はまだ理解出来ていなかったが、正月迎えの準備を我が家では
父、母方の実家では祖父が行った。神棚をきれいにして新しい神札を
社に納めて注連縄を張る。床の間には鏡餅を据え、台所の荒神様、
玄関や風呂場、手洗いにまで標飾(しめかざり)ををする。新しい年が来、
歳神様が来臨なさるのだ。その〈魂(たま)〉を、父や祖父が分ち与えて
下さるのだ、と知るのはずっと後のことであった。
この考えはクリスマスのサンタさん(に扮する父親)にも受け継がれている
かも知れない。

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2008年12月30日 (火)

■2008 1231-2 〔除夜;じょや〕

除夜
「除夜の鐘を聞きたい」と思い始めたのは小学校の四年生くらいだろうか
ある年の大晦日、叔母が友人宅へ行くという。紅白歌合戦をTV観戦する
というので一緒に出掛けた。まだTVが高級品であった時代だ。
結局、途中で寝入ってしまって、起された時には除夜の鐘は済んでいた。
こうして元日の未明に帰途に就いたのだが、その日の寒さと失望感とが
思い起される。正月を迎える晩の〈お籠り〉の意味はまだ知る由もなかった。

金子善光

12月31日の夜に神社で行われる行事で、年越祭とも呼ばれ、除夜とは大晦日を意味し民間では、年神様を迎える準備を済ませた上で夕方から神社にこもって元旦を迎える年籠〔としごも〕りが広く行われていた。

ウィキぺディアによれば、除夜は年神を迎えるために一晩中起きている習わしがあり、この夜に早く寝ると白髪になるとか、皴が寄るとかいった俗信があったとのこと。

★★今年の更新はこれでおしまいです。来年もまた宜しくお願いいたします。

蛇足@管理者N

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■2008 1231-1 〔大祓:おおはらへ〕

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大祓
大祓(おおはらえ)にはちょっとした思い出がある。
大学院生になった年である。年末のある日、
研究室で指導教授や
副手が形代(人形)を手にしていたのだ。
『さすがは神道の大学だ』と感心した。
母校にはキャンパス内に神社があり職員には神職も
いる。
それゆえ学内で大祓を行うのである。さてその大祓は
「半年に一度の心の大掃除」と言うべきもので、
大昔の日本人が発見した精神衛生維持の素晴らしい
方法の一つなのだ。

金子善光

蛇足@管理者N

大祓詞

高天原に神留まり坐す 皇親神漏岐神漏美の命以て 
八百万神等を神集へに集へ給ひ 
神議りに議り給ひて 我皇御孫命は 豊葦原瑞穂国を
安国と平けく知食せと 事依さし奉りき 
此く依さし奉りし国内に 荒振神等をば 
神問はしに問はし給ひ 神掃へに掃へ給ひて 
言問ひし磐根木根 立草の片葉をも事止めて 
天の磐座放ち 天の八重雲を 伊頭の千別に千別て 
天降し依さし奉りき 此く依さし奉りし四方の国中と 
大倭日高見の国を安国と定め奉りて 
下津磐根に宮柱太敷き立て 
高天原に千木高知りて 皇御孫命の瑞の御殿仕へ奉りて 
天の御蔭日の御蔭と隠り坐して 安国と平けく知食さむ 
国内に成り出む天の益人等が 
過ち犯しけむ種種の罪事は 
天津罪 国津罪 許許太久の罪出む 
此く出ば天津宮事以ちて 
天津金木を本打ち切り末打ち断ちて 
千座の置座に置足はして 
天津菅麻を本刈り断ち末刈り切りて 
八針に取裂きて 
天津祝詞の太祝詞事を宣れ

此く宣らば 天津神は天の磐戸を押披きて 
天の八重雲を伊頭の千別に千別て聞食さむ 
国津神は高山の末低山の末に登り坐て 
高山の伊褒理低山の伊褒理を掻き別けて聞食さむ 
此く聞食してば罪と言ふ罪は有らじと 
科戸の風の天の八重雲を吹き放つ事の如く 
朝の御霧夕の御霧を朝風夕風の吹き掃ふ事の如く 
大津辺に居る大船を舳解き放ち艪解き放ちて大海原に
押し放つ事の如く 
彼方の繁木が本を焼鎌の利鎌以て打ち掃ふ事の如く 
遺る罪は在らじと祓へ給ひ清め給ふ事を 
高山の末低山の末より佐久那太理に落ち多岐つ 
早川の瀬に坐す瀬織津比売と言ふ神 
大海原に持出でなむ 
此く持ち出で往なば 
荒潮の潮の八百道の八潮道の潮の八百曾に坐す
速開都比売と言ふ神 持ち加加呑みてむ 
此く加加呑みてば 息吹戸に坐す息吹戸主と言ふ神 
根国底国に息吹放ちてむ 此く息吹放ちてば 
根国底国に坐す速佐須良比売と言ふ神 
持ち佐須良比失ひてむ 此く佐須良比失ひてば 
罪と言ふ罪は在らじと 祓へ給ひ清め給ふ事を 
天津神国津神八百万の神等共に聞食せと白す

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2008年12月27日 (土)

■2008 1228・29・30 〔雑煮:そうに〕

Zouni 雑煮
正月の風習に〈雑煮(ぞうに)〉を食べるということがある。
これは歳神様や御先祖様に差し上げた〈お供え〉に由来する。
「雑々(くさぐさ)のもの(お供え)を煮る」ところから、
そう呼ばれた。

ところが歳神様を忘れ、御先祖様を放置している
現代人には〈雑煮〉は掛け離れた料理としか映らないようだ。
しかしこれには神事における〈直会(なおらい)〉と同じ意味があった。
歳神様や御先祖様と同じものを戴こうとする考えによっているのだ。
ここからより〈強い力〉や〈幸運〉を得ようとしたのが古来の知恵であった。

金子善光

祝詞ドットコムでは皆様からのご質問などをお待ちしております。

※くれぐれもいたずら書き込みはおやめ下さい。

管理者N

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2008年12月24日 (水)

■2008 1225・26・27 〔巫女さん〕

Miko 巫女さん
正月の神社には巫女さんが不可欠だ。
私が赴任するまで、本務社以下何れの神社にも巫女の姿はなかった。
現在では嘗(かつ)ての教え子や大学のサークルの学生さんが応援に
来てくれる。
当初は消極的な意見もあったが今ではすっかり定着した。
巫女で思い出したことがある。過日、S神社で偶然一人の巫女さんと
再会した。
教え子の友人で、彼女は高校一年生以来の初志を貫いて巫女になった人だ。
舞姿も凛凛(りり)しく、頼もしく感じられた。
古くは〈みこ〉は〈御子〉つまり神の子を意味する語だった。
神々(こうごう)しく感じられるのには、そのせいもあるのだ。

金子善光

※写真はイメージです。

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2008年12月21日 (日)

■2008 1222・23・24 〔プチ祝詞講座〕:願解(がんとき)(がんほどき)(ねがいさげ)

20081221
〔プチ祝詞講座〕:願解(がんとき)(がんほどき)(ねがいさげ)

願いごとを神様に聞いて戴こうとして〈願掛(がんかけ)〉を行った。
何がしかの捧げ物をして神主が祝詞を上げる。
これに次ぐのが絵馬掛け。病気を治したい場合は病気の部分の絵を
描いて社や絵馬殿に掲げた。最も強烈なのが〈お百度〉であろう。
文字通り百回も足を運んで神様にお願いするのである。
社参の距離は徐々に狭められ、遂には境内を行ったり来たりする形が
一般化した。途中で回数が解らなくなると困るので、札や棒を百枚・百本
用意して臨むのである。
さて、願望が成就したらどうするか。
〈お礼参り〉や〈願解(がんとき・がんほどき)〉を行うのである。
再び神前にそれなりのお供え物を用意して神主に祝詞を上げて戴く。
これが〈お礼参り〉だ。
また「ooが成就しました」と絵馬に書いて掛けて来るのが〈願解(がんとき・がんほどき)〉
である。神職は神様に〈返礼〉の祝詞を申し上げる。

去(い)ぬるoo年oo月oo日、
「祈願内容」をば乞(こ)ひ祈(の)み奉(まつ)りしが、
大稜威(おほみいつ)垂(た)れ給(たま)ひし任(まにま)に事成りければ、
「祈願者氏名」い、
今し御前(みまへ)に参上(まゐのぼ)り来て、
嬉(うれ)しみ忝(かたじけな)み奉(まつ)り、
大前(おほまへ)に幣帛代(みてぐらしろ)捧げ奉(まつ)りて拝(をろが)み奉(まつ)り、
事の由(よし)告(つ)げ奉(まつ)らむとするにより、見給(たま)ひ聞き給(たま)ひて、

よみ:
いぬる○年○月○日
「祈願内容」をばこひのみまつりしが、
おほみいつたれたまひしまにまにことなりければ
「祈願者氏名」い、
いましみまへにまゐのぼりきて
うれしみかたじけなみまつりて
おほまへにみてぐらささげまつりてをろがみまつり
ことのよしつげまつらむとすることにより みたまひききたまひて

(c)金子善光

蛇足@管理者N
ドクターコパではないですが最近「願ほどき」という言葉をよく耳にします。
「これだけお願いしているのにまったく効果がない」、「なんで私ばっかり」、
「実際さあ、神様なんていないんじゃないの?」と逆切れ気味になっていませんか。
そういう参拝者も多いはず。そこで今回は金子善光先生にこの「願解き」
に関してお聞きしました。

今ふうに言えば、どんどん神様にお願いのファックスを送り続けて回収しない状態。
メモリーの少なくなったハードディスクにさらにお願いをインストールするような感じ
でしょうか。 願ほどき=デフラグ、リセット、解除・・・ですね。

ちなみに悪い言葉は負の言霊(ことだま)となって蓄積していくので、お願いごとはどんどん効きにくくなっていくそうです。

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2008年12月18日 (木)

■2008 1219・20・21 〔プチ祝詞講座〕:生霊祓(いきりょうばらい)

Sekienikiryo1

〔プチ祝詞講座〕:生霊祓(いきりょうばらい)
平安時代ならまだしも現代には生霊はない。
とはいえ不安だと感じる人がいる。呪術的な方法で取り除けると
考えるようだ。しかし在来の宗教は相手にしない場合が多い。
本人が納得できれば解消されるはずだ。

此度(こたび)(住所、名前)い
大前(おほまへ)に参来(まゐき)て白(まを)さく、
年(とし)ごろ生霊(いきりやう)に悩まされ、
夜は眠られず昼は何事も手に付かぬ虚(うつろ)なる日々を過(すご)し侍れば、
大いなる力以(も)て助け給(たま)へと

よみ:
こたび(住所、名前)い
おほまへにまゐきてまをさく、
としごろいきりやうになやまされ
よるはねられず ひるはなにこともてにつかぬうつろなるひびをすごしはべれば
おおいなるちからもてたすけたまへと

(c)金子善光

蛇足@管理者N
生霊 ⇒(いきりょう、しょうりょう、せいれい、いきすだま)

生霊=生きている人間の恨みやねたみ、「死んでしまえ」などの、良くない思いなどが
積もり、増幅したもので、霊的事象をひきおこしたり、一つもしくは複数の霊体となって
対象となる人や家族などの前にあらわれると言われている。

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2008年12月15日 (月)

■2008 1216・17・18 〔プチ祝詞講座〕 :やまとことば

〔プチ祝詞講座〕 :やまとことば
『祝詞作文事典』では研究会の方々と
苦心惨憺して漢語のやまとことば訓みを試みた。
少なくともカタカナのままは使うまいという
高邁な理想で出発したのだが、
「言うは易く行うは難し」なかなか
思い通りにならない。時間を掛け、
様々な意見を聞いて改めて行くのがよいと思っている。
そこで今回は幾つかの試みを掲げてみた。

IH(電磁誘導加熱)→ あだなきにたきのすべ
放送 → えことばおくるすべ
サッカー(蹴球) → たまけるわざ・いまやうけまり
野球 → たまうちあそび
エスカレーター(自動昇降階段)→ おのづからうごくきざはし
水商売 → うたかたあきなひ

交通安全 → みちゆきのおだひ
安産 → やすきこうみ
家内安全 → いへぬちおだひ
合格 → ためしわざごえ
厄除 → わざはひしりぞくるわざ

× パソコン(電子計算機)→ ひとわざこゆる・・・
× エレベーター(昇降機)→ のぼりくだる・・・
× 会社 →
 
(c)金子善光

インターネットのブログ
→ ひとわざこゆる おくるすべの日記(にき)
携帯電話 → もちはこぶことづてのうつは

※蛇足 ブログ管理者(N)
■その他(その他のページなどもいろいろのぞいてみました)
※あくまでも参考程度で使ってください。

青春 → 花の齢(なはのよはひ)
未曽有の激動の時代
→ かつてあらざるはげしきうつろひのとき
多くの官僚のこと → もものつかさびと
各界の著名人 → もろもろのさきだち
諸外国の国王・首相・大使
→ とつくにぐにのきみ、をさ、つかひびとたち
社長 → やしろをさ?

■関連の神   (*金子善光)
磁石の神 → 金山彦神・金山姫神
電磁波の神 → 天照大御神

⇒最近はIHのオール電化も流行ってきました。

■祝詞上の使用例(上記より) (*金子善光)
befor
交通安全(こうつうあんぜんの)のみまつり
仕へ奉る状を
after
→みちゆきのおだひのみまつり仕へ奉る状を

⇒そこだけ妙に浮いてしまうのを防ぎ、
 より祝詞らしくなって美しいです。

〔参考URL〕
■逆引き古語辞典
http://homepage.mac.com/catincat/information/kogo.html
■やまとぶみウィキメディア
http://incubator.wikimedia.org/wiki/Wp/jpn-classical
■古文単語
http://contest.thinkquest.jp/tqj2001/40555/ziten.htm
■古典文法
http://yslibrary.cool.ne.jp/haroajapa000top.htm

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2008年12月12日 (金)

■2008 1213・14・15 〔餅搗(もちつき)〕

餅搗(もちつき)
半世紀以上前のことなのに、ありありと蘇る光景がある。
暮の餅搗(もちつき)だ。実家の玄関前で祖父母や叔父
・叔母たちが餅搗をしている。炊き上った餅米の湯気が
立ち昇る。高揚した気分が思い出される。
搗く餅は〈鏡餅〉がより古い。これを〈お正月様〉〈歳神様〉に
お供えしたのだ。風土記の逸文には〈餅〉が御神体で
あったかと思わせる説話すら見える。
さて同じ日の思い出が今一つある。
叔父が餅つきの合間に竹馬を作ってくれたことだ。
仕上がるや、叔父は楽々と竹馬に乗って見せた。
挑戦した私はなかなか上達しなかったが無性に嬉しかった。

金子善光

Photo

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2008年12月 9日 (火)

■2008 1210・11・12 〔プチ祝詞講座〕:新年の幸をいのる

〔プチ祝詞講座〕:新年の幸をいのる
歳の瀬。師走。
この一年がよい年ではなかった場合は
神々に新年の幸を祈る。
本人の努力も大切だが、
「苦しい時の神頼み」も多い。

55m1 〔崇敬者氏名〕い、この一年(ひととせ)
蒙(かがふ)り奉(まつ)りし大御蔭(おほみかげ)を
忝(かたじけな)み礼(ゐや)び奉(まつ)りて、
大前(おほまへ)を(をろが)み
願(ね)ぎ奉(まつ)る状(さま)を、
平(たひら)けく安(やすら)けく聞(き)こし食(め)し
見直(みなほ)し聞き直し坐(ま)して、
新しき年を幸(さち)多き佳(よ)き年たらしめ給(たま)へと、

読み:
〔崇敬者氏名〕い、このひととせ
かがふりまつりしおほみかげを
かたじけなみゐやびまつりて、
おほまへををろがみ
ねぎまつるさまを、
たひらけくやすらけくきこしめし
みなほしききなほしまして、
あらたしきとしをさちおほきよきとしたらしめたまへと、

(c)金子善光

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2008年12月 5日 (金)

■2008 1207・08・09 〔プチ祝詞講座〕:お籠り(おこもり)

〔プチ祝詞講座〕:お籠り(おこもり)
毎日のように不況不況と言われると、
いつしか気も滅入って来る。弱気・不景気を
吹き飛ばす方法はないものか。
万葉の昔には〈お籠(こも)り〉をして神に祈った。
古人の顰(ひそみ)に倣(なら)って、
しばし〈お籠り〉をしてみてはどうであろう。

御氏子(みうぢこ)〔氏名〕い、
この日ごろ心に積りて曇り空の下(もと)に在るがごと
過(すご)し来(き)つれば、
専(もは)ら大御恵(おほみめぐみ)によるほか無しと、
忌(ゆ)まはり清(きよ)まはりて、
玉串をば捧(ささ)げ
奉(まつ)りひたむきに祈(の)み奉らむとする状(さま)を、
見給(みたま)ひ聞き給ひて、
朝霧の消え行くごとく打ち払ひ給へと、

読み:
みうぢこ〔氏名〕い、
このひごろこころにつもりてくもりぞらのもとにあるがごと
すごしきつれば、
もはらおほみめぐみによるほかなしと、
ゆまはりきよまはりて、
たまぐしをばささげ
まつりひたむきにのみまつらむとするさまを、
みたまひききたまひて、
あさぎりのきえゆくごとくうちはらひたまへと、

(c)金子善光

〔意味〕お籠り:
神を迎えるために,関係者が一定の期間,
一堂に会して物忌をすること。
神が来臨すると信じられていた夜間に篭り,
夜明かしする。古くはこれを通夜と呼んだ。
神を祀るには,心身を慎み,清浄な状態を
保たねばならない。
そこで氏子一同が神社の拝殿などを籠り堂として,
籠るのである。(ウィキより引用)
*蛇足 ブログ管理者(N)

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2008年12月 3日 (水)

■2008 1204・05・06 〔プチ祝詞講座〕:映画制作成功祈願 

〔プチ祝詞講座〕:映画制作成功祈願 
恒例のまつりや一般的な祈祷ののりとは、
類似点が多く内容が似てしまう。しかし神様に
申し上げる言葉である点は動かしようもない。
祝詞が祭祀ごとに、また祈願に応じて作られると
いうことを念頭に、常に時・処・位に応じたもので
あるよう心掛けたいと思っている。
たとえば映像による表現としての映画製作の祈り。
                
映画監督〔氏名〕い大御稜威(おほみいつ)を
畏(かしこ)み奉(まつ)り、今し御前(みまへ)に
幣帛料(みてぐらのしろ)を捧(ささ)げ祈(の)み
奉(まつ)らくは、来たるo月o日より撮(と)らむとする
作品「ooooo」はしも、世の人々に
真情(まことのこころ)を伝へむと、
あまたの歳月(としつき)思ひ描き来(こ)しものなれば、
恙無(つつがな)く事終(ことを)へ
完(まつた)からしめ給(たま)へと、

読み:
映画監督〔氏名〕い おおみいつを
かしこみまつり、いましみまえに
みてぐらのしろを ささげのみ
まつらくは、きたるo月o日より とらむとする
作品「ooooo」はしも、よのひとびとに
まことのこころを つたへむと、
あまたの としつき おもいえがきこしものなれば、
つつがなく ことおえまつたからしめたまへと、

(c)金子善光

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