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2009年3月

2009年3月30日 (月)

■2009.0331・0401・02〔祭式〕:プチ祝詞講座 祭式、神職講習

Saishiki 神職の作法を〈祭式〉という。
神様をお迎えするのに失礼があってはいけない。
そこで幾つもの取り決めが設けられている。
日本文化の特色として〈型〉を上げることが出来る。
まさにその〈型〉を通じて敬意を示し畏敬を表す
のが〈祭式〉である。
神社へ行ったら是非とも神職や巫女の動きに
注目して欲しい。
一つ一つに理由があってあのように動いているのだ。

〔プチ祝詞講座〕祭式、神職研修奉告
今日(けふ)より始(はじ)むる
祭式研修(かみまつりののりのわざみがき)に
集(つど)へる神職(かむつかさ)ら、
後(のち)の神勤(かむつかへ)に懈怠(おこたり)
なからしめむと、
己(をの)も己(をの)も相誓(あひうけ)ひ
相努(あひつと)め、
ひたすら勤(いそ)しみ
励(はげ)まむとする状(さま)を、
見給(みたま)ひ聞(き)き給(たま)ひて、

読み:
けふよりはじむるかみまつりののりのわざみがきに
つどへるかむつかさら、
のちのかむつかへにおこたりなからしめむと、
をのもをのもあひうけひあひつとめ、
ひたすらいそしみはげまむとするさまを、
みたまひききたまひて、

(c)金子善光

※写真はイメージ

『沼部春友出演・指導
 神社祭式行事作法』

沼部春友 出演・指導
(國學院大學教授・神社本庁祭式講師)
定価:35,000円(本体33,334円+税)
VHSビデオ/カラー/ステレオ/各巻45~60分

最近は2枚組みのDVDがでていますね。

●国学院大学 神職養成講習会(夏季)
正 階(せいかい)     平成21年8月 1日(土)~9月 9日(水)
権正階(ごんせいかい)  平成21年8月 1日(土)~9月 2日(水)
直 階(ちょっかい)    平成21年8月 1日(土)~8月30日(日)
http://www.kokugakuin.ac.jp/qualification/shinshoku.html

蛇足@管理者N

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2009年3月27日 (金)

■2009.0328・29・30〔新入社員〕:プチ祝詞講座 新入社員

新 入 社 員
学校にも新人が来る。
転勤組があり新卒の先生もいる。
初々しい。生徒たちは歓迎ムードだ。
この時期は年々歳々
『自分が老いに向っているのだ』と感じさせられる。
反面『かつてはあのように自分もフレッシュマンで
あったのだ』と自省させられる時でもある。
四月にはその歓迎会がある。
新人の抱負は似たり寄ったりだが、
年季の入った先輩教師と異なるのは〈やる気〉だ。
新入社員の場合も同様かと類推している。

〔プチ祝詞講座〕:新入社員
今日(けふ)はしも新年度(あらたしきとし)の
初(はじ)めにしあれば、
社長(をさびと)を始(はじ)め
主立(おもだち)たる人々(ひとびと)、
新入社員(あらたひと)を迎(むか)ふる式(のり)を
行(おこな)ひ、
心(こころ)ばせも爽(さは)やかに
仕事(つとめ)に臨(のぞ)まむとする
新人(あらたびと)らを励(はげ)まさむと、
居並(ゐなら! )び笑(ゑ)まひ迎(むか)ふる、

読み:
けふはしもあらたしきとしの
はじめにしあれば、をさびとをはじめ
おもだちたるひとびと、
あらたひとをむかふるのりをおこなひ、
こころばせもさはやかに
つとめにのぞまむとする
あらたびとらをはげまさむと、
ゐなら! びゑまひむかふる、

(c)金子善光

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2009年3月24日 (火)

■2009.0325・26・27〔入学〕:プチ祝詞講座 入学式

高校・大学、いずれの場合も期待に
胸躍らせで校門をくぐった。
しかし最も強烈に覚えているのは
大学院のそれだ。
両親には内緒で受験し、
合格後もよい顔をしない母を説得して
入った大学院であった。
同時に高校教師になった。
神職養成講習会での知己に乞われての
ことである。
社会人一年生でもあったわけだ。
しかし指導教授に報告すると手酷く叱られた。
「学問に専念する気がないのか」
「なぜ事前に相談しなかったのか」と。
大いにしょげた。
徒弟制度のような院生生活の
始まりを感じた日だった。

〔プチ祝詞講座〕:入学式
この学舎(まなびや)に再(ふたた)び
春(はる)巡(めぐ)り来(き)て、
校庭(まなびのには)の桜花(さくらばな)も
咲(さ)き競(きほ)ふ今(いま)は、
新年度(あらたしきとし)の始(はじ)まりの
日(ひ))にしあれば、思(おもひ)も新(あらた)に
若(わか)きら参集(まゐ)ひ来(き)て、
入学式(ものまなびはじむるのり)
執(と)り行(おこな)はむ、

読み:
このまなびやにふたたびはるめぐ)りきて、
まなびのにはのさくらばなも
さききほふいまは、
あらたしきとしのはじまりの
ひにしあれば、おもひもあらたに
わかきらまゐひきて、
ものまなびはじむるのりとりおこなはむ、

(c)金子善光

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★小学校入学、幼稚園入園に関しては

新年度(あらたしきとし)の始(はじ)まりの
日(ひ))にしあれば、思(おもひ)も新(あらた)に
若(わか)きら参集(まゐ)ひ来(き)て、
入学式(ものまなびはじむるのり)
執(と)り行(おこな)はむ、

のところに単語を挿入したり、入れ替えたりしてみてください。

例えば、「若(わか)きら」 ⇒ 幼子ら

前に、「喪無く事無く生ひ経ちて」などをつけるとか

無理やり変換しなくても、その人たちの前で読んでますので

中執りもちとして伝えられている筈です。

蛇足@管理者N

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2009年3月21日 (土)

■2009.0322・23・24〔桜〕:プチ祝詞講座 さくら

Sakura 「願はくは花の下にて春死なむ」と詠んだのは
西行法師である。
北面の武士(今日で言えば皇宮警察官)として
宮中に仕えていた彼が世を捨てたのは失恋が原因
だという。
素晴らしい歌を残した歌人の本当の思いは解らない。
後代の人である芭蕉も西行に憧れた一人だ。
桜の花が選ばれるのは、神来臨の樹木であったことと
関わるのであろう。
かつて桜木の下で和歌を詠んだ風雅の心が今日では
カラオケ大会と化したのは寂しい。

〔プチ祝詞講座〕:桜
桜花爛漫(はなさきみだるるとき)の今宵(こよひ)、
心(こころ)寄(す)する人々(ひとびと)、
い群(い)れ集(つど)ひ、歌(うた)詠(よ)み
競(きほ)ひ、美酒(うまざけ)が杯(さかづき)
汲(く)み交(かは)し、
秋(あき)なる稔(みのり)に思(おも)ひ
巡(めぐ)らせ、いや益々(ますます)に
大御蔭(おほみかげ)賜(たま)はらむと、

読み:
はなさきみだるるときのこよひ、
こころすするひとびと、いれつどひ、うたよみ
きほひ、うまざけがさかづきくみかはし、
あきなるみのりにおもひめぐらせ、
いやますますに
おほみかげたまはらむと、

(c)金子善光

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2009年3月18日 (水)

■2009.0319・20・21〔彼岸〕:プチ祝詞講座 彼岸にお墓で読む祝詞 

Botamochi 「暑さ寒さも彼岸まで」とはよく言ったもので、
確かに春の彼岸ごろには寒さも緩んで来る。
昔の人々は季節を体感的に捉えたのだ
〈彼岸〉というのは仏教の説明によるのだが、
この時期に魂祭(たままつり)をする習慣は、
久しく日本民族が行って来たものであった。
ところが今日、墓参の風はかなり薄れている。
理由は様々だが、距離的な遠さ以上に
現代人の心が遠退いていることによるのであろう。
御先祖様と無縁である生活が当り前になっているのだ。
魂(たま)に思いが至らないのであろう。
自分があるのは父母や祖父母があるからだ。
遡れば夥しい御先祖様があったから、
今の自分が生まれたのだが、
今日ではそんなことも忘れて暮らしている。

〔プチ祝詞講座〕:彼岸中に墓前にて読む祝詞
この日(ひ)ごろ浅(あさ)けれど春(はる)は
巡(めぐ)り来(き)たりぬ、故(かれ)
今(いま)は亡(な)き○○○○の命(みこと)
また遠祖(とをつおや)たちの御魂(みたま)の 
奥津城(おくつき)の御前(みまへ)に、
慎(つつし)み敬(ゐやま)ひも白(まを)さく、
子孫(こうまご)また末々(すゑずゑ)の者(もの)ども、
相思(あひおも)ひ相寄(あひよ)りて、
春(はる)の花々(はなばな)を手折(たを)り、
また命(みこと)たちの好(この)み給(たま)へる
□□□(食品名)などをも、今(いま)し
御前(みまへ)に捧(ささ)げ奉(まつ)りて、
御魂(みたま)和(なご)め奉(まつ)らむと
拝(をろが)み奉(まつ)り、

読み:
ひごろあさけれどはるは
めぐりきたりぬ、かれ
いまはなき○○○○のみこと
またとをつおやたちのみたまの 
おくつきのみまへに、
つつしみゐやまひもまをさく、
こうまごまたすゑずゑのものども、
あひおもひあひよりて、
はるのはなばなをたをり、
またみことたちのこのみたまへる
□□□(食品名)などをも、いまし
みまへにささげまつりて、
みたまなごめまつらむと
をろがみまつり、

(c)金子善光

〔蛇足〕
奥津城(おくつき)
=お墓のことを神道ではこう言い、「都・津(つ)」は、

上代の格助詞の「つ」にあてた万葉仮名で、「~の」の意味になる。

お彼岸という言葉は「彼方の岸」と
書かれているように、向こう岸を
あらわしています。つまりは、仏様が
住んでいるあちらの世界のこと。
平たく言えば「あの世」
インドではサンスクリット語で
「パーラミータ」と呼ばれます。
対語として、迷いや煩悩にあふれた
こちらの世界(現世)を此岸(しがん)
というそうです。

(蛇足@管理者N)

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2009年3月15日 (日)

■2009.0316・17・18〔卒業式〕:プチ祝詞講座 卒業式

Images2 かつて大学院は修士と博士の二課程に分かれていた
(今日では博士課程前期・後期)。
その博士課程の修了式の翌日、大学へ出た。
学友たちは「なぜ当日出なかったのか」と訝しがる。
生活に追われて日を取り違えたのであった。
もっとも当時の博士課程は厳密には修了ではなく
満期退学だった。
修了証書はなく単位取得証明書を受け取って大学を
去るのである。
それまでの卒業式に感じた緊張感や晴れがましさはない。
『明日から大学図書館が利用できない』という
不安だけが先立ったのを思い出す。

〔プチ祝詞講座〕:卒業式
物学(ものまなび)重(かさ)ね、人(ひと)となる
今日(けふ)の朝(あした)はしも、事終(ことを)へ
学舎(まなびや)を去(さ)る日(ひ)なれば、
師(をしへのおや)の恩(みいつくしみ)を
仰(あふ)ぎ訓(みをしへ)を守(まも)りて
歩(あゆ)み行(ゆ)かむと、
心(こころ)に思(おも)ひ定(さだ)め出(い)で
立(た)ち行(ゆ)く若人(わかびと)ら、

読み:
ものまなびかさね、ひととなる
けふのあしたはしも、ことをへ
まなびををさるひなれば、
をしへのおやのみいつくしみを
あふぎみをしへをまもりて
あゆみゆかむと、こころにおもひ
さだめいでたち行ゆくわかびとら、

(c)金子善光

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2009年3月12日 (木)

■2009.0313・14・15〔禁忌〕

41jtjyrtghl_ss400_1 以前テレホンカードが普及したころ、
仏教界ではこれに〈お守り〉要素を加味して
出すことがあった。
神社界では「使用後に廃棄されるので
〈お守り〉には不適切である」として認められなかった。
結果論としてこれは正しかった。この頃は
「お祓いをした海苔」などと称して店頭に並ぶ食品、
あるいは「インターネットを通じて頒布される神札」が
禁止されている。
確かにお祓いが必要なら本人が神社に来てそれを
受ければよい。
神札も神社へお参りしてそこで受けるので意義があるのだ。
「遠隔地の者はどうすればよいのか」という反論も出ようが、
考えは同じだ。
個人が神社に連絡し、送ってくれるか否かを確認すればよい。
神前に額づくのが神社の信仰だ。本人が駄目なら神社近くに
居る知己に託すのもよい。信仰に大量伝達はそぐわない。
便利さで信仰を自分の都合に引き寄せてもいけない。

金子善光

※写真は「 I 神社祈祷札入り”ゆたんぽ”」

あくまでも参考イメージです。

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2009年3月 9日 (月)

■2009.0310・11・12〔春〕プチ祝詞講座:春

Nanohana 「春は曙」と書いたのは清少納言だが、
語源的には〈張る〉から来ているという。
木の芽が今にも伸び出そうとしている状態に
よるのだという。都会では季節感は薄れたが、
それでも蕗の薹を見、紅白の梅の開花に
出会うと春の到来が知られ、風にも心なしか
暖かさが感じられる。
春は新たな生命の息吹を実感してうきうきする
季節なのであった。
『万葉集』のころには春が恋の季節であったのも
理解できる。

〔プチ祝詞講座〕:春
物皆(ものみな)立(た)ち枯(か)れし冬(ふゆ)も
去(さり)り、今(いま)は暖(あたた)かき
春(はる)の日差(ひざし)受(う)くる季節(とき)を
迎(むか)へぬれば、恒例(つねのためし)のまにまに、
春(はる)の御祭(みまつり)仕(つか)へ
奉(まつ)らむと、
氏人(うぢびと)相集(あひうごな)はり、
幣帛(みてぐら)奉(たてまつ)り玉串(たまぐし)の
取(と)り取(ど)りに拝(をろが)み奉(まつ)らくを、

読み:
ものみなたちかれしふゆも
さり、いまはあたたかき
はるのひざしうくるときを
むかへぬれば、つねのためしのまにまに、
はるのみまつりつかへ
まつらむと、
うぢびとあひうごなはり、
みてぐらたてまつりたまぐしの
とりどりにをろがみまつらくを、

(c)金子善光

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2009年3月 5日 (木)

■2009.0307・08・09〔試験〕プチ祝詞講座:試験

春は卒業・入学の季節である。
その前に入試という関門がある。
歳を取ると受験とは無縁だ。
そのせいか入試も多少は余裕を持って眺められる。
神社で願掛けをする場合の盲点は
「どうか合格しますように」にある。
大切なのは試験や面接で上がらないことだ。
平常心が保てれば実力も発揮できる。
次にその実力が100パーセント出せることが重要だ。
従って「平常心が保てますように」
「実力が発揮できますように」と祈るのがよい。
実力以上を望むのは欲張りというものだ。
希望の学校入ってからも背伸びしなければ
ならないかも知れないので覚悟が要る。
そのつもりなら
「120パーセントの力が出せますように」と
祈るべきだ。

○○○○(氏名)い年月(としつき)
重(かさ)ねし物学(ものまなび)の
随(まにま)に、今日(けふ)はしも
試験(ちからのためし)受(う)くる日(ひ)をば
迎(むかへ)ぬれば、
気押(けお)されるることなく呑(の)まるることなく、
己(をの)が持(も)てる力(ちから)の
全(すべ)てをば出(いだ)さしめ給(たま)ひ、
努力(つとめしこと)の成果(よきはて)をば
上(あ)げさしめ給(たま)へと、

読み:
○○○○いとしつき
かさねしものまなびの
まにまに、けふはしも
ちからのためしうくるひをば
むかへぬれば、
けおされるることなくのまるることなく、
をのがもてるちからの
すべてをばいださしめたまひ、
つとめしことのよきはてをば
あげさしめたまへと、

(c)金子善光

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2009年3月 2日 (月)

■2009.0304・05・06〔桃〕プチ祝詞講座:桃

Momo清少納言の『枕草子』には宮中の女官たちが
桃の枝で互いの腰を叩いてふざけている
ようすを記している。
中国では桃は生命力の象徴で派生して多産と
結び付く。
平安の女性貴族の遊びには俗信の背景があったわけだ。
日本神話ではイザナギが黄泉(よみ)の国から
逃げ帰る時に投げ付けたものが桃の実であった。
中国では桃には鬼を追い払う力があると信じられた。
ひなまつりに桃が供えられるのも理由があったのである。

〔プチ祝詞講座〕:桃(もも)
桃の実の不可思議なる力に肖(あやか)らむと、
斯(し)が枝をば挿(さ)し装(よそほ)ひて、
今し執(と)り行(おこな)はむ
雛祭(ひなまつり)をば、見給ひ聞き給ひて、
ここに遊べる幼児(をさなご)らをば健(すこや)に
育(はぐく)み養(ひだ)し給へと、

読み:
もものみのふしぎなるちからにあやからむと、
しがえだをばさしよそほひて、
いましとりおこなはむひなまつりをば、
みたまひききたまひて
ここにあそべるをさなごらをばすこやに
はぐくみひだしたまへと、
 

(c)金子善光

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